レースは走る実験室

本田宗一郎
純Hondaレーサー

Honda RA271 は、1.5L V12 エンジンを搭載した初の日本製 F1 カー。Hondaはパワーユニットとシャシーの両方を製造する数少ないチームの一つ、 細部に至るまで真のサラブレッドであった。

勝利をもたらしたマシン

1965 年に、Hondaは RA272 を投入。伝説的な48バルブ V12 水冷エンジンから 230馬力を絞り出し、高い加速力を誇った。

勝っておごることなく、勝った原因を追求して、その技術を新車にもどしどし入れていきたい。

19831985
返り咲いたHonda

15 年後、F1 技術の進歩に促され、Hondaは再びパドックの一員となる。Hondaは、1.5L V6 ターボのRA163E をウィリアムズとスピリットに供給し、F1 活動を再開。復活の喜びを得た。

PGM-FI の誕生

F1 は常に進化する。1983 年も例外ではなく、 電子制御燃料噴射技術が導入され、Hondaは PGM-FIを開発。その結果、エンジンの燃焼がよりクリーンになり、燃料効率も上がった。

19861987
黄金時代の幕開け

RA166E V6 ターボエンジンの圧倒的なパワーがコースを支配し、コンストラクターズチャンピオンを獲得。ドライバーズタイトルはわずか 2 ポイント差で逃したが、1986 年はHonda黄金時代の幕開けを予感させるシーズンとなった。

Honda:F1 チャンピオン

1987 年、Hondaの時代が到来。ロータスとウィリアムズの 2 チームにエンジンを供給し、ドライバーズタイトルとコンストラクターズタイトルを獲得。本田宗一郎が夢に描いていた勝利を現実のものとした。

成功のモデル

ウィリアムズ・ホンダ FW11 は、1986 年シーズンの最もパワフルな F1 カーの一つであった。レーシングマシンには新型 RA166E V6 ターボエンジンを搭載し、1,000 馬力を超えるパワーを実現した。

私の幼き頃よりの夢は、自分で製作した自動車で 全世界の自動車競争の覇者となることであった。

1988
19891992

カナダ・グランプリでマシンに乗り込みレースに備えるセナ。

マクラーレン・ホンダ、ワンツーフィニッシュ

1989 年シーズンでは、ターボが廃止となった。Hondaは V10 の導入を決めたが、ライバルチームのほとんどが V8 と V12 を選択。Hondaの戦略は大成功を収め、 McLaren-Hondaはコンストラクターズタイトルを再び奪取し、プロストはドライバーズタイトルを獲得した。

圧倒的な強さ

1989 年シーズン、プロストは表彰台を 11 回記録し、タイトルを手中にした。セナもわずか 16 ポイント差でそれに続いた。

この期間、Hondaはエンジン供給者という立場に専念し、レーシングチームをサポートする体制を取った。

20002004
Honda と BAR

BAR Honda チームの 4 シーズン目、コンストラクターズ部門で 2 位を獲得。ジェンソン・バトンはドライバーズ部門で 3 位に入り、表彰台に 10 回上った。

マレーシア・グランプリで 3 位を獲得して歓喜するバトン。

2006